出典:月刊「商工会」2016年6月号、P37~39、発行元 全国商工会連合会
名品物語 GOOD PRODUCT STORY vol.1 株式会社スウィーツ(高知県南国市)

クリームブリュレ革命が起こった

アイスブリュレは、常温で10~20分置けば”ひんやりアイスブリュレ”、
常温30~1時間で”とろ~り濃厚クリームブリュレ”に

■不可能を可能にし、誕生した名品

 パリパリに焦げ目のついた表面のキャラメリーゼをスプーンで割る。そして、その下に隠れている滑らかなカスタードクリームと一緒に口の中に入れれば、2つの味わいと舌ざわりが楽しめる至福のデザート"クレームブリュレ"。日本でも人気の高いスイーツだ。

 だが、数年前まで、クレームブリュレを食べられる場所はレストランやカフェだけだった。なぜなら、「上層のキャラメリーゼはマイナス25℃でも固まらないため、パリパリ感を保ったまま流通させることが不可能だったからです」。株式会社スウィーツの春田聖史社長は、当時の状況をこう説明する。

 その不可能を可能にしたことによって誕生したのが、名品「ジャージー乳のアイスブリュレ」である。同社が特殊な技術で、クレームブリュレを凍結し、キャラメリーゼのパリッとした食感をそのままに流通させることに成功した結果、私たちはいつでもどこでも、それを食べられるようになったといえる。

■日本一幸せな牛たちのミルクとの出会い

スウィーツの春田聖史社長
 和洋菓子・アイスクリームの製造・販売を手がけるスウィーツは、高知県内の製菓・乳業などの経営者有志が平成18年に設立した。当時、春田社長は牛乳製造会社の工場長を務めていたが、経営陣に請われ、21年に入社。23年に社長となる。

 同社はロールケーキ、シュークリーム、チーズケーキなどを扱っており、アイスブリュレの商品開発を始めたのは22年。春田社長は、前職の経験からも、隣町・土佐山田にある「雪ヶ峰牧場」のジャージー乳を使うことを最初から考えていた。

 「素材との出会いという意味では、雪ヶ峰牧場のジャージー乳を抜きには語れません」
 
 その理由は、雪ヶ峰牧場を訪れてみるとよくわかる。山2つ分、120ha(東京ドーム25個分)もの広さがある牧場に完全放牧された約60頭の牛たち。一年中、昼も夜も、台風の時でさえ放し飼いにされ、交配も分娩も自然のまま。陽をたっぷり浴びながら悠々と牧草の新芽を食む姿は、NHKの番組で"日本一幸せな牛のいる牧場"として紹介されたこともあるという。
 
 ジャージー乳の特色は濃厚な味わい。乳脂肪分、乳蛋白質、ベータカロテンが豊富で、黄色味が強いことから"ゴールデン・ミルク"とも呼ばれる逸品だ。また、もともと乳量が少なく、ホルスタインの半分程度とされるが、さらに放牧による運動量増加のため、汗をかいて水分が減る。「水分をあまり与えないフルーツトマトと同じで、旨味が濃縮されて深みのあるミルクになります」と、雪ヶ峰牧場の前田高宏牧場長は、この牧場ならではの特長を説明する。

■クレームブリュレに流通革命を起こす

雪ヶ峰牧場では、山に広がる青草が牛を育て、その糞尿が栄養となって牧草が育つ自然環境のなかで乳牛が育つ
 最高品質のジャージー乳を使った商品開発が始まった。春田社長は20人のパティシエとともに試行錯誤を繰り返し、ほどなく、素材を生かしたクレームブリュレを完成させた。

 しかし、目標はクレームブリュレを流通させること――。そのためには、キャラメリーゼのパリパリ感を保つ技術がどうしても必要だ。最大の難題が目の前に立ちはだかっていた。「ここがどうしても突破できない。おいしいクレームブリュレはできあがったのに売り出せないというジレンマに陥り、正直、逃げ出したいほどでした」

 菓子や乳飲料などのありとあらゆる経験や技術を駆使しても、キャラメリーゼが溶けない状態を維持することができなかった。それならと考えたのが、異業種で使われている技術の研究だ。県外の3社に協力を請い、1年がかりでやっとその技術を開発することができた。

 「一言でいうなら、砂糖を焼いてキャラメリーゼを固化する際に特殊な製法で安定させるということですね」

 企業秘密の一端を、春田社長はそう表現し、「この技術開発によって、クレームブリュレを本来の風味のままで1ヵ月間日持ちさせることが可能になりました。ブリュレが日持ちして流通するということはすごいことなんですよ」と、自信に溢れた笑顔を見せた。

■”おやつの甲子園”でグランプリ受賞

 平成24年11月、東京・池袋で開催された「ニッポン全国物産展」(全国商工会連合会主催)で行われた「第3回ニッポン全国ご当地おやつランキング」で「ジャージー乳のアイスブリュレ」は見事グランプリに輝いた。来場者の投票によって、47都道府県からノミネートされた47品の中から日本一を決めようという、いわば"おやつの甲子園"だ。そこで日本一の称号を得たことは、販路開拓で大きな弾みになったという。

 アイスブリュレは流通技術の完成後1~2年間、百貨店のギフト用カタログで売ってきた。当時は百貨店の名で売れていたという実感しかなかったため、同年5月から個食販売を始め、自社ブランドで勝負しようとしていたところだった。ただ、1個362円(税別)という価格がネックになっていた。

 ところが、受賞を機に一気に増えたマスコミ報道によって、知名度も人気もどんどん上昇、取り引き先も売り上げも大きく伸びた。いつしか、アイスブリュレは年間20万個を売り上げ、クオリティ、味、人気をすべて併せ持つ名品に育っていた。

 この間、同社は高知県商工会連合会と南国市商工会から専門家派遣などの支援を受けた。その6次産業化プランナーとともに商品・販路開拓に取り組んだことが、今に確実につながっていると、春田社長は感じている。

■僅かな差の積み重ねが名品を育てる

 アイスブリュレ誕生には素材、ネットワーク、技術、そして、春田社長とスウィーツのスタッフの思いが大きく関わっている。「いい素材なしに、本当においしいものはつくれないと思っていますが、その意味するところは、①優れた素材をどのくらい知っているか、②それを手に入れられるかということ。両方揃って初めておいしいものができる。だからこそ、ネットワークは財産」だと、力を込める。
 
 唯一無二の素材一つひとつと、世に出回っているもの差を知り、その差を生かし切ってつくりあげたものの一つがアイスブリュレだ。商品づくりは"そこそこ"で満足することから抜け出さない限り一段上には辿り着かない。しかし、その一段分というのは、素材や思いの強さなど「僅かな差の積み重ねであるはず」と、春田社長は言葉を継ぐ。
 
 アイスブリュレは現在、ジャージー乳、とろけるショコラ、木苺、濃厚キャラメル、小夏、和栗の6種類がラインナップする。これらには、高知の風土と、生産者たちの情熱とこだわりが育てた素材が使われている。彼らの思いと加工者であるスウィーツの思い・技術が掛け合わさり、オンリーワンの商品が生まれた。「それをさらに磨き、世界のほうから近づいてくるような商品にしていきたい」と、春田社長はさらなる高みを目指す。

■製造工程

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