出典:月刊「商工会」2016年9月号、P35~37、発行元 全国商工会連合会
名品物語 GOOD PRODUCT STORY vol.4 クスカ株式会社(京都府与謝野町)

ALL HANDMADE IN TANGO

■丹後の海と日本人としての使命

 青、碧、藍……と、ブルーにもさまざまな色合いがあるが、「丹後の海の五色の蒼」と聞いて、どんな青を想像するだろうか。

 日々刻々と、そして季節によってもその表情を変える丹後の海の、一瞬たりとて同じ情景はない海の青さを、手織りで一越しひと越し織り込んだネクタイがある。クスカ株式会社のブランドKUSKAの「ホワイトラインタイ」シリーズだ。ブルー、サックス、インディゴ、ネイビー、ダークネイビーの地に真っ白なラインが斜めに走る。シンプルにして美しさの極み、である。
 
 KUSKAを立ち上げたのは、同社の3代目・楠泰彦社長。昭和11年、祖父が創業し、同46年に法人化したクスカは80年にわたって丹後ちりめんの白生地を製造・販売してきた。その間、生産量は減り続け、最盛期の20分の1にまで落ち込んだとはいえ、京都府北部にある与謝野町を含む丹後地域は、現在も和装用白生地織物の国内シェア約6割を占める日本最大の産地だ。
 
 まちを歩けば織機の音が聞こえる与謝野町に生まれ育った楠社長は、野球に明け暮れた中学・高校時代を高知県で過ごし、その後、サーフィンに魅せられ、波を求めて国内外の海をめぐった。東京で建設会社に勤めていたが、帰省したあるとき、職人が丹念に丹後ちりめんを織る姿に感じ入るものがあった。「日本人として残さなければならないものが、ここにある」と。
 
 それまで、家業は地味で魅力的なものではなかった。しかし一転し、生まれ故郷に魅入られた理由の一つが海だった。
「丹後の海がサーフィン・ポイントだと知って、心躍りました。サーフィンを楽しみながら、丹後ちりめんをつくり、広めていく。そんなライフスタイルもいいなぁと思ったんです」

■下請けから脱却し、あえて"手織り"へシフト

クスカの楠泰彦社長
熟練の職人が丁寧に織り上げていく。素材、織りの組織、織り方と、すべての工程に独自性がある
 30歳で家業に入り、まず、京都府織物・機械金属振興センターに通い始めた。丹後ちりめんや織物全般について学び、それを自社工場で実技として習得した。ただ、修業しながらの1年間、楠社長は頭を悩ませていた。前職の経験から財務に明るく、家業の現状も将来性も手に取るようにわかったからだ。

 「下請けのまま、機械織りでの生産を続けても将来性はないと。それで、自分から父に『跡を継がせてほしい』と頼みました。一刻も早く手を打たなければと思ったからです」

 平成20年、覚悟を胸に、32歳で代表取締役に就いた楠社長は、"手織り"という付加価値のある商品づくりへと舵を切った。そのヒントを与えてくれたのは両親だった。10数年前に手織り機を導入した父の先見性と、趣味ながら、その手織り機でものづくりをしていた母。「そこには機械織りにはないオリジナリティ、風合い、質感がありました。こちらのほうが見込みがあるかもしれない」。何より本来、シルクの光沢や上質感を生かし切れるのは、空気をも一緒に織り込む手織りである。絹糸にストレスをかけないからこそ、気品ある艶めきや風格までも醸し出すことができるのだ。
 
 潔く10台以上の機械織機をすべて処分し、銀行の融資で手織り機を3台導入。技術力のある職人を雇い入れた。

■伝統の技術を現代のライフスタイルに生かすKUSKA

 当初は生地をつくっていたが、手織りは機械織りの30倍の価格に跳ね上がるうえ、通常の流通にのせると、さらに3倍になる。どんなに品質が良くても、これではビジネスにならない。それなら、自社の生地で商品をつくろうと方針転換。販売戦略としてブランド化が不可欠だと平成22年、「伝統、ファッション、芸術の融合」をコンセプトにしたKUSKAを始動させる。オール・ハンドメイドという付加価値を纏ったネクタイ、ストール、バッグの3アイテムでのスタートは、和装からメンズファッションへ、ターゲットを問屋から一般ユーザーへシフトしたという宣言でもあった。
 
 「商品づくりのベースは自分が使いたいと思えるもの」。その明確なイメージを次々と商品化していく。ほかにはない商品を生み出すために工夫したのが、織りの開発とデザインだ。そのために楠社長と木工大工職人が手づくりした手織り機がある。ジャカード織り用手機の仕掛けを応用し、大きな部材などは再利用するなどして、ネクタイ制作用にアレンジしたものだという。独自の機構をもつ手織り機からは、表情豊かでオリジナリティあふれる生地が生み出される。それをベースに、機械では織れない経糸と緯糸の織りの組織を開発した。また、経糸に黒糸を使うことで、光沢と色彩に奥行きが加わったニュアンスのある生地をつくり出した。

 「機械織りは平面的な2次元、手織りの陰影のある立体的な美しさは3次元の世界」と、楠社長が表現する所以である。
 
 その生地を縫製するのもまた、人の手だ。2年かけて探した老舗のネクタイ縫製工場でも、職人たちが1針ずつ仕上げている。
京都・烏丸三条通りにあるKUSKA SHOP

■丹後から世界へブランドを発信

 オール・ハンドメイド・イン・タンゴ。糸づくり、染色から縫製まで手づくりにこだわったKUSKAのネクタイは現在、約20アイテム、100カラーほどあるという。毎年2回、半シーズンごとに新作を発表し、コレクションになっていく。

 「価格はヨーロッパの中堅ブランドと同等」で、楠社長のクオリティへの自信とマーケティング結果から設定したものだ。そのため、当初はブランドの知名度がないにも関わらず価格設定が強気だったため、展示会に出ても商談がまとまらなかったという。「それでも、ターゲットは東京と決めていました」。

 転機は平成23年、セレクトショップ「ユナイテッド・アローズ」への飛び込み営業だった。「最初は反応がなかったので、リサーチして先方に合うものを新たにつくり、3~4度提案しました」。翌年、店頭にKUSKAのネクタイが並んだときは本当にうれしかったが、それで売れるほど甘くはない。「まずやったことは、お客様と接する店員さんのハートを掴むこと」だった。ブランドに込めた思い、職人の手仕事、丹後の自然など、商品にまつわるストーリーを知ってもらう努力をした。同時に、ホームページからの発信力を強化するなどした結果、次第にブランドが認知されるようになり、売り上げも増えた。

 それが契機になり、阪急メンズ東京、銀座松屋、銀座和光、そごう・西武や大手航空会社との取り引きも始まった。昨年12月には京都市内に直営店KUSKA SHOPをオープン、上海のグローバルブランドとコラボした家具なども販売する。

 さらに、今秋11月頃にはレディースの発売を予定。地元・与謝野町商工会の支援で採択された小規模事業者持続化補助金を、今回起用したデザイナーのデザイン料などに活用する。
 
 最初に東京を目指したわけは、その先に世界が広がっているから――。その戦略どおり、来年2月にはパリの展示会に出展する。丹後の海は世界へとつながっていた。

■工程

①染色:専門職人が2時間以上かけてオリジナルカラーに染めていく

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